3時55分
航がフロントバックに戻ると、掛川さんと交代で起きてきた米澤さんがいた。
「おはようございます」
米澤さんは航の顔を見ると言った。
「ちょっと腹減ったんで、ご飯食べていいですか?」
「もちろんです、どうぞ」
米澤さんはコンビニで買ってきたであろう、たらこパスタを冷蔵庫から取り出し温めた。
米澤さんはズルズルと音を立てながらパスタをすすった。
ふと航は米澤さんに声をかけた。
「米澤さん、お子さんはいらっしゃるんですか?」
米澤さんはパスタを飲み込んでから言った。
「いや、うちは子宝に恵まれなかったんです」
航は申し訳ない気持ちになった。
「すみません。余計なことを聞いてしまいました」
「いえ、いいんですよ。実は嫁と別居してもう15年になります。あいつ、なんの前触れもなく出て行きました。
それなのにね、何もアクションを起こしてこないんですよ。別れようとも言ってこない。僕にどうしろっていうのか…何も言ってこない。何が狙いなのか…汚い女ですよ」
「そうだったんですか」
「最初は困りましたよ。私、実家暮らししかしたことなかったので。洗濯の仕方もわからなかったんですから。
今はね、アイロンがけなんてうまいもんですよ」
米澤さんはさらに続けた。
「私ね、わかってますよ。会社が私をやめさせようとしていること。何十年も総務課で勤めてきた私をいきなりフロントの夜勤専属にするって…そういうことでしょう。
それとね、若い人たちが私の年代のことを勝ち組とか逃げ切り組って呼んでることも知っています」
航は黙って聞いていた。
「先月、母が亡くなりました。父はとっくに他界しています。私に残ったのは弟家族だけです。
しっかりお金貯めてね、老後はどこか施設に入って…誰にも迷惑をかけずに死んでいきたいんです。
そのためにもね、色々言われてるのはわかってますけど…この会社にしがみついてでもね…」
そして付け加えた。
「あいつにだけはね、財産を残さないようにしないと。今のうちにしっかり手を打っておかないとなぁ
本当にいったい…何がいけなかったんだろう?オレの何が?
どこかで歯車が狂ってしまったんです」
航は話を変えるように言った。
「どうですか?フロントのお仕事は?身体、キツくないですか?」
米澤さんはニコリとした。
「浅間さんがね、人事部に掛け合ってくれて。シフトも夜勤専属を外してくれて。
浅間さんからしたらね、僕らの世代の人間は気に入らないと思いますよ。だって基本給が段違いなんです。不公平ですよ。
でも、彼は本当に良くしてくれます。僕は、あんな息子が欲しかったです」
米澤さんはニコリと笑った。