午前8:30
帰宅した航は、1枚のCDを探していた。
それは、ある映画のサウンドトラックで、多くのアーティストがビートルズのカバー曲を演奏収録したCDだった。
航は特別ビートルズが好きなわけではなかったし、洋楽を聴くわけでもなかった。でも、このCDはお気に入りで、一時期よく聞いていた。
このCDを手に入れたのは、航が30代前半の頃だった。当時、付き合いもあり、時間があれば知り合いのバンドを目当てにライブハウスに足を運んでいた。
贔屓目に見ても今後大きくブレイクするようなバンドとは思えなかった。彼らは航より少し年上だったし、どの世界もほとんどの場合、センセーショナルな若者の登場を待っているのではないだろうか?
これと言って生きる目的のなかった航は、お金の使い道もなく、時々彼らが自費制作したCDやグッズを購入した。情熱を傾けるものを持っている彼らのことをいつも羨ましく思っていた。楽器の出来ない航は彼らに嫉妬していたし、彼らの仲間になりきれない隔離された気持ちを抱えていた。
航はそんな彼らを応援することで、恩を売ったような気持ちになっていたし、自分の存在価値を誇示できたようで快感だった。いや、そうすることで彼らとの繋がりを維持しようとしていたのかもしれない。寂しかったのかもしれない。
色々な想いを抱えてはいたけれど、間違いなく彼らの音楽は純粋に好きだった。
その時、そのバンドのおっかけ兼マネージャーのような女の子が「これおススメです」と言ってくれたのがこのビートルズのカバーCDだった…と言ってもCD-Rに焼いたものだったが。
とにかくバンドマン達もその周辺に集まる人間達も、貧乏人が多かった。でも、とても楽しそうだった。
今頃、彼らはどうしているんだろう?まだ音楽を続けているのだろうか?最後に会ったのは渋谷のチェルシーホテルのイベントだったか?
「あった」
航はそのCDを見つけると、忘れないようにバッグの中に入れた。
たった2日連続勤務をしただけで、疲労が溜まっていた。やはり夜勤は身体に応える。年齢のせいかもしれない。
航はそのまま眠ってしまいたい衝動に駆られたが、首を振り気合を入れるとシャワーを浴びて眠気を洗い流した。
ご先祖様と神棚に手を合わす。
帰りに買ってきたアップルパイを食べ終えると、スマホを手に取った。
「急ですが、明日、10:00〜ビジネス交流会に参加しませんか?」
SNSでメッセージが届いていた。航はすぐに「参加します」と返信し、忘れないよう手帳に予定を書き込んだ。