12時40分
「じゃ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
陽は自転車に跨り、駅に向かった。電車に乗る前に緑色の看板の銀行に寄った。
画面を操作し、家賃75,000円を振り込む。陽は胃が締め付けられるような思いがした。通帳に記された残高を見て、この数字が自分の残りの命のように思えた。
13時50分
陽はホテルのミーティングルームにいた。勤務は16時からだったが、その前に社内面談の予定を入れていた。
面談は五十嵐さんと三木部長とでおこなうことになっていた。三木部長は普段、同じグループの他のホテルで働いており、陽と顔を合わせることは滅多になかった。
社内面談は形式上のものになっていた。しかし、今回、陽は給与面の相談をしようと決めていた。だから五十嵐さんには三木部長にも同席して欲しいと伝えていた。何も言わなければ五十嵐さんと雑談をして終わっただろう。
陽の願いは聞き入れられ、三木部長と五十嵐さんにスケジュールを調整してもらい、今日の14時から面談をおこなうことになっていた。出すぎた真似かとは思ったが、10年も働いているのだ。多少、要望を伝えてみてもいいだろう。実際、三木部長はこうして時間を作ってくれた。
「三木部長か…」
陽は緊張していた。
13時58分
ガチャリ
陽は姿勢を正した。
ドアが開き、申し訳なさそうに五十嵐さんが入ってきた。
「ようちゃん、悪い。三木部長、急遽来れなくなっちゃったらしい」
(逃げたな…)
陽は瞬間的にそう思った。しかしすぐに思い直した。
(逃げる…じゃないな。三木部長にしたら大したことじゃない、それだけのことか)
五十嵐さんの言葉を聞いた陽はがっかりしつつ、少しホッとした。
五十嵐さんと面談するのでは勤務中に話をするのとほとんど変わらない。聞いての通り「ようちゃん」と呼ばれる間柄だし、上司というより良き先輩という感じだったからだ。
陽は口を開いた。
「五十嵐さん、本当に大変ですね。全部押し付けられちゃって…。手当だって付いてないんでしょう?」
「・・・・20年以上ここで働いてるんだ。今更、他のことなんて出来ないしな」
五十嵐さんは自分に言い聞かせるように言った。
「さ、ようちゃん。面談はじめるか!と言っても、相手はオレだけどな」
五十嵐さんのその言葉で一気に場が和んだ。
「オレ、五十嵐さんには言いづらいですよ。だって、言えばまた五十嵐さんの負担が増えるでしょ?」
「ま、一応聞くだけは聞くよ。ようちゃんが言いたいことはだいたいわかってるけどな」