古事記スクール

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#036 三角形のお話~パート6~(2021年4月11日)

こんにちは。

 

今日は「三角形のお話~パート6~」です。

 

死んだ人が付ける頭の三角頭巾。なんでつけるのか考えたことありますか?

 

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【#036三角形の話~パート6~(2021年4月11日配信)】

 

三角形は世界を安定させる、バランスを取る…というお話をたくさんしていますが、今日は「死」についてのお話です。

 

三角頭巾は亡くなった人が冥土へ旅立つときに身に着ける「死装束」のひとつです。頭に付ける三角形の布です。なんでつけるんでしょうね?考えたことありますか?

 

その由来には諸説がありますが、まず、死者が頭につける三角の布を「天冠(てんかん)」といいます。

 

仏教では、亡くなった人の魂は閻魔大王をはじめとする「十王」のもとへ行き、魂の裁きを受けると考えられています。舌を抜かれるとかなんとなく聞いたことありますよね?

 

天冠は高貴な人がつける冠がもとになったと言われていて、閻魔大王に失礼がないようにつけたという説がかなり有力です。まあ閻魔大王にラフな格好で会いにいくと印象悪そうだし、怒られそうですもんね。僕らも面接とか結婚前に相手のお父さんに会いに行くとか…そういう場面ではフォーマルな服装でいきますよね。

 

また、陰陽師は悪魔祓いの儀式を行う際、黒い三角頭巾をつけていたと言われています。これが転じて葬儀の参列者たちが三角頭巾をつけるようになり、やがて死者のみがつけるようになった、という説もあります。

 

あと、これ江の島のお話をしたときに触れたんですが…三角頭巾の三角形は蛇の鱗に由来していて「死者の再生を願う」意味が込められているという説があります。古来より日本では、蛇を神格化していて「死と再生の象徴」として捉えてきました。脱皮する姿なんてまさに再生です。

 

古代、日本に龍という考え方はありませんでした。もともと蛇が神だったり神の化身だったりしたんですね。やがて大陸から龍の考え方が入ってきてます。そして蛇と龍が少しずつ習合していったんです。

 

北条氏の家紋は三角形が連続した「三つ鱗」紋です。以前に話しましたが、北条時政が龍にウロコを3枚もらったことに由来します。

 

死者が三角頭巾をつける理由…いくつかの例をだしましたが、いかがでしたか?

 

①閻魔大王に会いに行くための正装

 

②陰陽師に習った魔除け

 

③死者の再生を願う

 

もちろんこれ以外にもありますので、気になる方は調べてみてくださいね。

#035 釣り竿のお話(2021年4月10日)

こんにちは。

 

今日は「釣り竿のお話」です。

 

えびす様って釣り竿を一本だけ持っています。

 

でも、漁をするなら網の方が効率よくないですか?

 

えびす様が釣り竿を一本だけ持っている理由についてお話しています。

 

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#035釣り竿のお話(2021年4月10日配信)

 

今日は釣り竿のお話です。釣り竿といって思い出す神様、いますか?

 

古事記にも出てきます、釣り竿を持ってる神様。

 

はい、えびす様ですね。七福神にも名を連ねる大人気の神様です。あ、ご存知と思いますが、七福神の中で唯一日本の神様であるのがえびす様です。

 

ひと口にえびす様と言っても、ヒルコとかコトシロヌシとかスクナヒコナとか…いろいろなパターンがあります。この話をするとあっというまに時間がなくなるので、今日はしません。

 

簡単にいうと「海から豊かさを与えてくれる」のがえびす様です。そこからだんだん商売の神様になっていくわけですね。

 

昔は、イルカやクジラのこともえびすと呼んだ時代がありました。

 

「鯨ひとつ取れば七浦(ななうら)潤う」

 

って聞いたことありませんか?鯨を一匹捕まえたら七浦…うらっていうのは漁村と思ってもらっていいと思います。一匹でたくさんの漁村が潤うくらいたくさんの恩恵を与えてくれる…クジラはそんなありがたい存在としてえびす様の化身であるとされていたんですね。

 

日本人は捕った鯨に戒名をつけてお祈りします。和歌山のエビス神社はクジラの骨で鳥居が作られていますよね。日本人が鯨をとても大切にしていたことがわかると思います。

 

さて、話を戻します。今日、ビジネスしてる人、どのくらいいるでしょうか?なんとなく会社にえびす像が置いてあることをイメージしてください。商売繁盛のえびす様です。

 

でも、おかしいですよね?商売繁盛ならなんでえびす様は釣り竿一本なんでしょう???

 

がっぽり儲けるなら竿じゃなくて網を使いませんか?もってる鯛も一匹だけですよね?たまにエビスビールのデザインは2匹鯛を持ってるらしいですが。

 

このえびす様の姿は「暴利をむさぼらぬ清廉の心を象徴」していると言われています。エビで鯛を釣るっていいますけど、あれはタナボタとは違うんですね。網で一網打尽にするような商売ではなく、先のことを考え、竿をつかい糸を垂らす。地に足のついた地道なビジネス。そして「よく頑張ったね」といってえびす様がタイを一匹くれるというわけ。

 

会社で商談をしていたとして、そこにエビス像があったとします。これは自分の利益ばかり考えない、相手のことも思いやる、お互いのためを思い、信頼して商売をしましょう!という決意表明になるわけです。

 

えびす様が見ていますから嘘はつけません。近江商人の経営理念に「三方よし」ってありますよね。売り手も買い手も世間も喜ぶビジネスをしましょうって。それに似ていると思います。

 

今日のお話はどうだったでしょうか?ちょっとだけ今日も三角形の話になりましたね。

みなさん、うまい話にはお気を付けください。いつもエビスさまが見ています。僕も気をつけます。

#034 三角形のお話~パート5~(2021年4月9日)

こんにちは。

 

今日は「三角形のお話~パート5~」です。

 

三角形のお話はいろいろなバリエーションがあります。

 

今日は大好きな河合隼雄先生のお話。

 

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【#034 三角形の話~パート5~(2021年4月9日配信)

 

僕は高校生の頃、日本が嫌いでした。いや、中学生の頃も嫌いでしたが。

 

白黒はっきりさせずに「まあまぁ…」みたいな。優柔不断な感じがして嫌でした。若い頃ってそういうのありますよね?で、自分も優柔不断というか「まぁまぁ…」で終わらせたい、争いたくないタイプなので、自分のことも嫌でした。

 

さて、河合隼雄という方がいます。もうお亡くなりになられたので「いました」ですね。心理学者で文化庁長官を務めていたこともあります。古事記をかじったらまず間違いなく河合隼雄を通ると思います。

 

河合隼雄は臨床家を目指し、ヨーロッパで心理療法を学びます。しかし、どうも日本人にはこの方法が当てはまらない。「そもそも西欧人と日本人では心の在り方がちがうんではないか?」という疑問を持ち、その答えを古事記に求めます。古事記って「日本人とはこういう民族です」ということが凝縮されているので、そこに答えを求めるのも当然かもしれません。

 

河合隼雄が注目したのがですね…古事記って同時に3柱が誕生するシーンが多いですよね?一例ですが…

 

アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒ

アマテラス、ツクヨミ、スサノオ

ホデリ、ホスセリ、ホオリ ホデリはウミサチ、ホオリはヤマサチです。

 

でも、たいていの場合、3柱のうち、2柱しか物語に関与しません。一番わかりやすいのは、ツクヨミかな。ツクヨミって聞いたことありますか?アマテラスとスサノオの兄弟ですが、古事記では名前しか出てきません。ウミサチヤマサチも真ん中の子、出てきません。

 

河合隼雄はこういう神様のことを「無為の神」と呼んでいます。

 

ぜんぜん出てこないくせに、存在だけあるんです。ただ存在している。話に出てこないんですよ、ぜんぜん合理的じゃないですよね。

 

すんごく簡単にいうとですね「なにもしない神様」をおくことで、二柱を対立させないという考え方。一方に力を偏らせない。何もしないんだけどバランスを取ってるんです。これ、なにかあったとき「まぁまぁ」とか曖昧にしておくという日本人が持ってる「らしさ」だと思うんですね。

 

人の住む人里と動物の住む山の間に山里を置く、みたいな。どちらでもなく、どちらも交わる場所、よけいわからないかな?

 

こっちに偏りそうになると、反対に戻る、ゆりもどして、行ったり来たりしながら、バランスを取る。白か黒かじゃないんです。2柱だと対立しちゃいますが、3柱にしてバランスをとるんです。河合隼雄曰く「こういうのが日本人の深層心理にありますよ」ってことですね。

 

こういう日本人らしさが、外からきたものを上手に取りいれる…神仏習合とかね、争わせずに上手に融合させていく、そういうセンスに繋がっていると僕は思います。

#033 アソビのお話~パート2~(2021年4月8日)

こんにちは。

 

今日は昨日に引き続き「アソビのお話~パート2~」です。

 

僕の「お神輿初体験談」みたいな感じになっています。

 

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【#033 アソビの話お話〜パート2〜(2021年4月8日配信)】

 

昨日は遊びのお話をしました。遊びというのは神様など尊い存在が動くという意味があるんですよ〜みたいなお話でした。その時、少しだけお神輿(おみこし)の話に触れました。お神輿にのせた神様を担いで、みんなでわっしょいわっしょいって。そうやって神様の足になることで神様を動かして練り歩いて、厄災や穢れを祓うんです。揺らす行為は神様のパワーを高める意味もあります。

 

一昨年ですね、僕はお神輿デビューしました。仲良くしてる大工のTRさんに誘われて。

 

その時、コンビニで飯島直子さんに会いました。かっこよかった。飯島直子さんのご実家がお神輿をした地域の近くなんですね。飯島直子さんの時代の某中学はもう荒れまくりでヤバかったです。

 

御神輿って馴染みのない人にはちょっとわからない世界だと思うんですよ。なかなかとっかかりがないですよね。半纏(はんてん)とかそれこそ褌(ふんどし)とか、やってみて色々わかりました。んで、神輿担いでる人は、基本的にイカツイ人が多いです。元ヤンみたいな感じ。

 

僕は新参者なので「よろしくお願いします」みたいに挨拶すると「どこ中?」みたいな話に自然となります。

 

「○○中です。あなたは?え!〇〇中ですか!ヤバいですね」

 

みたいな。

 

中学時代のヒエラルキーがなんとなく今でも残ってるのは面白いですね。まあ地元なので、はじめましての時は、出身校なんか共通の話題になりやすいですよね。

 

いよいよお神輿がスタートして、しばらくすると中継地点みたいなところで一休みします。休憩したのは老人ホームみたいなところでした。入居してる方が、お神輿の到着を楽しみにしてるんです。そこでお年寄りと少しお話したり、ビール飲んだりビール飲んだりビールを飲んだりして、ガソリン補給ですね。

 

んで、担いでるときに、すごい気合入ってる人がいたので隙をみて話しかけたんです。

 

「気合い入ってますね、出身はどこ中ですか?」

 

みたいな感じで。

 

「楽しんでる?神輿、マジ最高だよな!」

 

みたいな話をして。それで頃合いをみて、

 

「ところで担いでる御祭神はどなたですか?」

 

って聞いてみたんです。そしたら、

 

「は?」

 

みたいな感じだったんです。

 

(あ、ご祭神って一般的ではないかな?)

 

って思ってすぐ聞き直しました。

 

「今日、担いでるのはどんな神様なんですか?」

 

って。そしたら

 

「え?神??まあオレは神とか信じないからな」

 

って言って。そそくさと離れて言っちゃったんです。まるで僕が宗教の勧誘したみたいな空気になっちゃって。。。

 

「いや、そうじゃなくて」って…感じですよね、僕からしたら。

 

でもすごくないですか?お神輿に誰が乗ってるのか知らないのに気合いいれてかついでるんです。それでお神輿を揺らして神様はパワーアップしてる。知らないうちに神さまが喜んでるんです。こういう人って、口で「古事記だ!古事記だ!」なんて言っている僕なんかよりずっと神様に喜ばれてるんじゃないかな~って思ったりします。現場の人、という感じで。

 

それでふと思ったんです。神輿に限らず、「○○神社がいいよ」「じゃ、行って見よう」で、どんな神様がお祀りされてるか知らないまま手を合わせて帰ってくる。

 

それでもたぶん、日本の神様って怒らないんですね。なんかすごく大らかな感じがして。ま、もちろん知ってた方が喜ばれるのかもしれませんが。それでも、このおおらかさが日本の神様っぽくていいなぁと思うのですがいかがでしょう?

#032 アソビのお話(2021年4月7日)

こんにちは。

 

今日は「アソビのお話」です。アソビとは神様が動くこと、でもあるんです。

 

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【#032 アソビのお話(2021年4月7日配信】

 

今日は遊びのお話です。遊びってどういうイメージでしょうか?遊んでばかりいないで勉強しなさい、とか。ちょっとよくない…控えないといけないイメージがあるかもしれません。

 

遊びの「遊」という漢字にはゴールを決めずに歩き回るとか旅行するという意味があるそうです。

 

前にも少しお話しましたが、古事記の神様の名前なんかに霊(レイ)という字が当ててヒと読ませることがあります。

 

この霊に足をつけて、足+霊と書いてアソビ。これが「アソビの語源」だなんて意見もあります。神様が動くことがアソビというわけです。あ、諸説ありますからね。

 

神様が動くのか?というとまたこれは別の話になるのですが、御神輿なんか神様を揺らして街を練り歩いて、これもアソビですね。神様が神社から出てその力を振りまき、厄災や穢れを祓います。わっしょいわっしょいってね、人が神様の足になるわけです。

 

尊い人や神様が現れること、登場することを「あそばす」と言いますね。天皇陛下がご即位遊ばされる。最上級の敬語ですね。神様のお出ましが「あそばす」です。

 

少し古事記の話をしましょう。古事記において遊びと言ったら、多くの人が思い浮かべるのが天の岩戸籠りのシーンではないでしょうか?

 

スサノオが大暴れし、ショックを受けたアマテラスが洞窟に引きこもります。世界は暗闇につつまれますが、アメノウズメが踊狂い神々の笑いが起こります。みんなで遊ぶわけですね。するとその笑いに誘われて、アマテラスは岩戸から出てきてメデタシメデタシとなるわけです。

 

気づきましたか?アマテラスという尊い神が「お出まし」になりましたね。「アマテラス様があそばされた」ということです。ことの発端はスサノオの大暴れですが、遊びという文字は「すさび」とも読みます。スサブルのすさびです。つまりスサノオが暴れる行為もアソビなんです。

 

スサノオの暴挙、ウズメの踊り、アマテラスの回帰…共通しているのは動きがある、ということです。アメノイワトごもりのお話は遊びの連続です。

 

足+霊。神様が動くことが遊び。

 

動きや変化を生じさせ、次の段階に移行するのが遊びの本質かもしれません。

 

遊びのお話はまだまだ出来そうです。3分では足りませんね。