こんにちは。
今日は「三角形のお話~パート5~」です。
三角形のお話はいろいろなバリエーションがあります。
今日は大好きな河合隼雄先生のお話。
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【#034 三角形の話~パート5~(2021年4月9日配信)
僕は高校生の頃、日本が嫌いでした。いや、中学生の頃も嫌いでしたが。
白黒はっきりさせずに「まあまぁ…」みたいな。優柔不断な感じがして嫌でした。若い頃ってそういうのありますよね?で、自分も優柔不断というか「まぁまぁ…」で終わらせたい、争いたくないタイプなので、自分のことも嫌でした。
さて、河合隼雄という方がいます。もうお亡くなりになられたので「いました」ですね。心理学者で文化庁長官を務めていたこともあります。古事記をかじったらまず間違いなく河合隼雄を通ると思います。
河合隼雄は臨床家を目指し、ヨーロッパで心理療法を学びます。しかし、どうも日本人にはこの方法が当てはまらない。「そもそも西欧人と日本人では心の在り方がちがうんではないか?」という疑問を持ち、その答えを古事記に求めます。古事記って「日本人とはこういう民族です」ということが凝縮されているので、そこに答えを求めるのも当然かもしれません。
河合隼雄が注目したのがですね…古事記って同時に3柱が誕生するシーンが多いですよね?一例ですが…
アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒ
アマテラス、ツクヨミ、スサノオ
ホデリ、ホスセリ、ホオリ ホデリはウミサチ、ホオリはヤマサチです。
でも、たいていの場合、3柱のうち、2柱しか物語に関与しません。一番わかりやすいのは、ツクヨミかな。ツクヨミって聞いたことありますか?アマテラスとスサノオの兄弟ですが、古事記では名前しか出てきません。ウミサチヤマサチも真ん中の子、出てきません。
河合隼雄はこういう神様のことを「無為の神」と呼んでいます。
ぜんぜん出てこないくせに、存在だけあるんです。ただ存在している。話に出てこないんですよ、ぜんぜん合理的じゃないですよね。
すんごく簡単にいうとですね「なにもしない神様」をおくことで、二柱を対立させないという考え方。一方に力を偏らせない。何もしないんだけどバランスを取ってるんです。これ、なにかあったとき「まぁまぁ」とか曖昧にしておくという日本人が持ってる「らしさ」だと思うんですね。
人の住む人里と動物の住む山の間に山里を置く、みたいな。どちらでもなく、どちらも交わる場所、よけいわからないかな?
こっちに偏りそうになると、反対に戻る、ゆりもどして、行ったり来たりしながら、バランスを取る。白か黒かじゃないんです。2柱だと対立しちゃいますが、3柱にしてバランスをとるんです。河合隼雄曰く「こういうのが日本人の深層心理にありますよ」ってことですね。
こういう日本人らしさが、外からきたものを上手に取りいれる…神仏習合とかね、争わせずに上手に融合させていく、そういうセンスに繋がっていると僕は思います。