【#043 いつまでも変わらぬ愛を(2021年4月19日配信)】
「愛」ってどんなイメージがありますか?とても良い言葉のような気がしますが…
実は、仏教で使用される「愛」は、悪い意味として使用される場合が多いです。
例えば「渇愛(かつあい)」という言葉があります。のどが渇いたときに水が欲しいというような、激しいむさぼりという意味ですね。強烈な執着です。仏教の愛は執着。煩悩の一つなんです。仏教ではこの渇愛が人間の愛の本体だと言います。この愛を求めることが苦悩の源だと言われたりします。
じゃあ、日本古来の愛ってなんでしょう?
僕は「むすひ」だと思っています。
この世界には「むすひ」のエネルギーで満ちています。古事記の序盤にタカミムスヒ、カミムスヒのというムスヒの神があらわれるのですが、このムスヒのエネルギーが世の中に行き届くことであらゆる生命が生まれることが可能になりました。
今朝、朝活をおこないました。その中で参加してくれた方が「春の景色の美しさ」についてお話してくれました。
新緑が目に鮮やかで、風も和らぎこれから夏に向かっていく…
なんて美しいのでしょう。当たり前のようですが、自然界ではこの季節の変化を毎年忘れずに繰り返してくれています。ちなみに美しいという言葉は「移り行く」という意味もありますね。移り行く様、変化していく様が美しいのです。
植物なら、種が落ちて、土と結ばれ、芽が出て、花が咲いて、実がなる。これがムスヒですね。種だけでは芽が出ない。結ばれるから芽が出るのです。
例えば海の幸、山の幸って誰が与えてくるんでしょう?
ミカンの木があったとして…毎年、文句を言わずに勝手に実をつけます。タケノコもニョキニョキ伸びますし、海のなかにはたくさんの魚がいます。
生き物だけじゃありません。石油とか天然ガスと長い時間をかけてムスヒを経て、エネルギーになります。
もちろん空気も水も…世界は豊かさで満ち溢れています。これ、自然が勝手に与えてくれています。ムスヒのエネルギーが頼みもしなくても勝手に、豊かさを与えてくれています。ありがたいですね。
世界は「愛」で満ち溢れています。実をつけたミカンを独り占めにするか、みんなで分け合うか…与えられた豊かさをどう分配するかは人間の裁量ですね。
最初に仏教における愛は執着だといいましたが…愛は訓読みで「めでる」とか「まな」ってよみますね。愛娘とかね。愛するは…ちょっとなんというか対象への執着とか恋愛感情も含みますが、「めでる」は一方通行といいますが、ひたすら注ぐ、見返りを求めない無償の愛みたいな感じでしょうか?
ミカンの木も見返りを求めたりしませんよね。それが本来の日本の愛というか、もしくは執着を意味する愛が、日本的変容を遂げたのかもしれない、そんな風に僕は思っています。