こんにちは。
今日は「考えるのお話」です。
「考える」は「神様を迎える」こと?そんなお話です。
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【#039 考えるのお話(2021年4月14日配信)】
昨日は三角形が人生を造っているというお話でした。
①物理的要因
②の思考的要因
③の無意識領域
の三角です。今日は②思考的要因についてお話したいと思います。
思考的要因っていうと難しいですね。思考は思って考えることですが、今日は「考える」ということについてです。
僕はスピリチュアルに傾倒しているとき、考えることをほぼ放棄していました。瞑想してパワースポットにいって、波動を上げていれば自然と幸せになる、という…この言い方は極論ですが。
これ、危ないですよね、客観的に見ると。でも本人は気づいていません。
「ああ世間の人はなにもわかっていない。正しいのはこっちの世界」
みたいな感覚でした。まあ、周りにそういう人が多いとそうなりがちです。
「インドに行ったり幽体離脱出来たら幸せになれるんじゃないか?」
と思っていました。その頃の僕は完全に考えることを拒否してる状態でした。もう自分に自信がないから考えるのをやめるんですね。責任とりたくないんです。思考停止です。
「考える」ってなんでしょうか?
かんがえるの語源は「かむがふ(かうがふ)」だと言われます。「か」にむかうです。
この場合の「か」は場所とか点を表します。一箇所、二箇所、空の彼方とか。
つまり、その点と点、場所と場所を向き合わせるということです。
「今日のお昼はラーメンにするか牛丼にするか…」
も考えるですね。ラーメンと牛丼を向き合わせています。
最初に思考と言いましたが、考えると思うとは違いますね。思うはあれこれと思いを巡らすこと。
考えるは「か+むかえる」ですから、向き合うことです。
さて、ここから先は僕が勝手に思っていることです。
場所と場所を繋ぐ、点と点を繋ぐ、というのは合わせるということですよね。Aという意見とBという意見を合わせてちょうどよい場所を探る、もしくはAとBを合わせてみたり比較してみたり…そんな風に思っているんですけど。
僕は寝起きに色々なアイデアがひらめきます。ちょっと変な言い方ですが、このひらめきは神様が与えてくれたと僕は考えています。怪しいですね。勘がいいって言いますけど、これも「神が良い」、ひらめきに近いと思っています。
でも、そのアイディアだけだと、それで終わりなんです。そのアイディアをひらめいてそこからどうするか考えます。
僕はこれを「神=ひらめきというエネルギーを迎える」つまり「かみをむかえる」ことだと思っています。僕にとって考えるとは「神と向き合う」「神を迎える」ことであったりもします。
「考える」は「神を迎える」
今日のお話はいかがだったでしょうか?