こんにちは。
今日は「愛なんだ!のお話」です。
西洋の神さまと日本の神さま。同じ神さまでも愛の表現方法が随分違うような気がします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【#022 愛なんだ!のお話(2021年3月28日配信)】
今日もありがとうございます。
ここのところ、神話における「この世界のはじまり」をテーマにお話しています。今日もジャンル的にはその部類のお話になると思います。
さて、主に西洋の神話では世界は神様が作ります。創造主とか絶対神が存在します。繰り返しますが、世界を創ったのは神です。神が先にいて世界が作られます。
対して日本の場合は、世界が先にあって、その世界の中に神様が現れます。世界が先、神様が後です。
つまり、西洋の場合、神様は世界の外にいます。世界を創りだしたのは神様ですからね、もう絶対的な存在です。世界を外から眺めているイメージですかね。
日本の…古事記の場合は、神様は世界の中に存在します。僕らと同じ世界にいます。
これ、根本的に決定的に違う部分なんですね。ちょっとこれは極論みたいになりますが、西洋の神様は世界のあっち側にいます。日本の神様はこっち側にいます。
直会(なおらい)ってご存知ですか?祭祀(さいし:祭りごと)が終わった後に、神様にお供えしたものを人が食べるんです。神様が召し上がった食物を一緒に食べる…共に食べると書いて共食といいますが、これによって神と人が一体になるわけです。昇殿参拝した後、お神酒をペロってしますよね、あれもそうです。
日本の食事というのは、まさに神事なわけですが…今日はその話はしません。食事を通し、命をいただくんですね。「いただきます」って。命ってミコトって読みますよね。ミコトって神のことです。ミコトをいただいて、一つになっていくんですね。
ちょっと誤解が怖いのですが、、、
西洋の神様はあっちの世界から与えてくれる存在。与えるのが愛。
日本の場合は神様と一つになる。一緒になるのが愛です。
最初に話しましたが、あっちの神様とこっちの神様では愛の表現の仕方が違うんです。あっち側から与える愛とこっちにいて一緒になろうっていう愛。どっちも愛なんですけど、もう根本的に違うんですね。
神話というのはこの世界の成り立ちが説明されていますので。もう、冒頭から民族性の違いというか、根本的に違うんだってわかりますよね。どっちがいいとか悪いでなく、違うんですよね。
この違いを知ることはとても大切だと思います。違いを知らないと誤解や争いが生まれますからね。
少し難しくなったかもしれません。日本の神様の場合、一つになろう一つになろうというのが愛、そんな風にちょっと覚えておいてくれると嬉しいです。