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菅原神社まいり

先日、都内某所にある菅原神社をお参りしてきました。


こちらの神主さんには日頃より大変お世話になっていて、今回大人3名子供2名で正式参拝&境内をご案内していただきました。 

 

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さて、この神社の御祭神は…


菅原神社ですので、もちろん菅原道真公。


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なんと紙芝居(風)を神前にて奉納させていただきました


幼い頃から神童と呼ばれ、学問や和歌だけでなく、弓や馬術にも長けていたと言われています。

 
その後、学者の最高位に上り詰めただけでなく、政治の世界でも手腕を発揮。

 
第59代・宇多天皇に重用され、最終的には右大臣(政治の世界のナンバー2)まで出世します。

 
しかし、宇多天皇が譲位し第60代・醍醐天皇の御代になると、ここぞとばかりに藤原時平(左大臣、つまりナンバー1)が動きます。

 
「道真が醍醐天皇を廃そうとしている」

 

という噂を流す時平と仲間たち。濡れ衣をかけられた道真は、九州の太宰府へ左遷となってしまいます。政治の中心から外され、流転先で与えられたのは粗末な家、そして給与はなし。

 
そんな不遇の生活を送りつつも、道真は自身の潔白と国家の安寧を祈り続けました。しかし、2年後に病死してしまいます。

 
道真の遺体は牛車で運ばれましたが、途中で牛が座り込み動かなくなってしまいます。

 

「これはここを動きたくないという道真の意思だろう」

 

というわけで、その場所に廟を建て、それが後の太宰府天満宮になったと言われています。

 
その後、、、

 

時平を筆頭に「反・道真派」の怪死が相次ぎ、都は飢饉、疫病、天災と散々な状態に。

 
人々は「非業の死を遂げた道真の怨念だ」と噂しました。こうして道真は怨霊になったのです。

 
醍醐天皇は道真が無罪であるとし、地位も右大臣に戻します。なんとか道真の怨霊を鎮めようとしますが、その後も清涼殿(当時の天皇の住まい)に雷が落ちるなど天変地異はおさまりません。

 

ショックを受けた醍醐天皇もその3か月後に崩御。


朝廷は道真の怨霊を鎮めるため、京都に北野天満宮を造り道真の霊を祀りました。

 
その後も天変地異や災害が起こるたび、人々は「道真の怨霊だ」と恐れ、道真の霊を鎮めようとしました。

やがて100年ほどの時が流れました。

 

道真の怨霊説が風化してくると、 道真の優れた面が人々にクローズアップされるようになります。

 

幼いころから神童と呼ばれ、学者出身でありながら政治の世界では異例の右大臣まで出世。

 

大宰府では不遇な日々を送りながらも国家の安寧を祈り続けた忠義の士(道真は至誠の神(しせい:誠実で真心のあること)であることも相まって、「学問の神」になっていくわけです。

 

ちょっと長くなりましたが…

 

道真を怨霊にしたのも人…

学問の神にしたのも人…

 

なんですよね。

 

神様と人の関わり方、それが大事〜🎶なんてことを思った神社参拝でした!!

 

そして、ますます菅原道真公が好きになりました。

 

ご一緒してくださった皆様、神主様、ありがとうございました^ ^

 

よう