「残念ながら悟りを得る前に僕は疲れ切ってしまいました。
ここまでしなければ幸せになれないのならば、もう諦めよう、僕には無理だ…そう思いました。
でもやっぱり、その執着から離れるのは大変でしたよ。なにせ時間もお金も投資してきたわけですから…そこには同じ方向を向いている仲間もいますしね。
でもね、やっぱりそこにいる人たちが僕には幸せそうには見えなかった。
だから僕にはそこから離れる決意が出来たんだと思います。
そして、その時に手に取ったのが…古事記でした」
「その古事記が氷川さんの人生を変えたわけですね?」
陽の期待は高まっていった。
「まぁそう簡単な話ではありませんでしたけど」
航はそう言って笑うと、さらに続けた。
「最初に現代語訳の古事記を買ったんですけど、これがとにかくつまらないんです。
読んでいるとすぐ眠くなる」
陽は肩透かしを食らったような気がした。
「でも、僕にはそこに何かがあるような気がした。
それに、もうスピリチュアルから足を洗って…足を洗ってっておかしな言い方ですけど。
あ、僕は厳密にはスピリチュアルが嫌いなわけではないんですけどね。
とにかく古事記を頑張ってみようと思ったんです。
そして、何度も何度も挫折を繰り返しながら、それでも粘って読み続け、自分なりに古事記を消化出来た時…
パラダイムシフトが起こりました」
「パラダイムシフト?
パラダイムシフトってなんですか」
陽は聞いたことのない言葉 だったので素直に聞いた。
「そうですね…意識が劇的に変化することです」
「それくらい劇的な変化が氷川さんの中で起こったんですね?」
「いえ、もっとこうなんというか…
なーんだ…って感じです」
「え?だってこう、なんというか…もっとドラマティックな感じではなかったんですか?」
陽は期待を裏切られたような気がした。
「全然ドラマティックではありませんでしたね。
僕が何年もかけて探し続けていたものは、こんなに身近に存在していたんです。
灯台下暗しとは、まさにこのことです」